2018年4月30日月曜日

交通モードの分離/混合を判断する2軸


Keynote.appをインストールしたので試しにプレゼンテーション資料っぽい図を作ってみました。図中のアイコンの位置は感覚的なもので適当。

この図を元に、私が考えている道路空間配分の基本原則を説明します。



何を伝えようとしている図か


図は、ある場所で複数の交通モードを分離するか混合するかを決めるには、それぞれの交通モードを2つの軸で評価するのが適当だろうという発想を表わしています。

それも、車種区分などに基づいた杓子定規な判断ではなく、質量や実勢速度などの連続量に基づいた個別的な判断が必要だということを示しています。


加害者としての攻撃力


交通モード評価の一つ目の軸は、他の交通参加者を傷付け、脅かす存在として捉えた場合の「攻撃力」です(「攻撃性」と言った方が良いかも)。これは、
  • 衝突した時の物理的な破壊力(速度、質量)や有害な排気ガスの量
  • 他の交通参加者を心理的に威圧する車体の大きさや走行音の煩さ
という物理と心理の2面からなります。同じ交通モードでも速度が高ければ攻撃力は上がります。また、そのモードの交通量が多ければ当然威圧感が強まりますから、個だけでなく群として捉える必要もあります。

これらをまとめて比喩的に表現するなら、猛獣は隔離する必要があるということです。


被害者としての防御力


もう一つ忘れてはならない評価軸は、他の交通モードから物理的、心理的危害を加えられた際の強さ/弱さ。どのくらい保護すべきかということです。
  • 鋼鉄のフレームやエアバッグに守られたドライバーは、生身の人より物理的な防御力が高い
  • 他の乗り物より軽く、小さく、人がむき出しの交通モードは心理的な不安感が大きい
という具合に、これも物理と心理の2面からなります。「脆弱性」と呼んだ方が適当かもしれません(が、図では正方向でプラスになる表現でなければ都合が悪かったので 「防御力」としました)。

人も結局は動物の一種ですから、命が縮むような体験は避けようとします。そのような恐怖が必然的に伴う道路空間を設計しても、大部分の交通参加者は、可能ならそれを避けるでしょう。そうなれば社会インフラとして失格です。肝試しのアトラクションじゃないんですから。


考え方の例


例えば「自転車:乗用車」の質量比は「乗用車:大型トラック」の質量比とだいたい同じで、どちらも1 : 16くらいです。
  • 自転車 80 kg(車体 15 kg + 乗員 65 kg)
  • 乗用車 1300 kg(1.3 t)
  • 大型トラック 20 t
質量だけで判断するなら、「自転車と乗用車」の分離必要度は「乗用車と大型トラック」の分離必要度と同じということになってしまいます。

しかし乗用車は自転車と違って(個々人の身体能力に依らず)大型トラックと同じ速度で走れますし、車体が大きくて見落とされにくく、さまざまな乗員保護装置も付いていて心理的に安心感も高いので、大型トラックとは混合させても構わない、という判断が妥当になります。


よくある歩行者と自転車と自動車の分離・混合問題


歩行者と自転車と自動車の3者がいて、その中のどれか2者を混合させなければならないという場合はどうでしょうか。重要なのはカテゴリカルな判断をしないことです。この中で最大の物理的、心理的脅威になるのは自動車ですが、一口に「自動車」と言っても、
  • その速度は何km/hなのか
  • ラッシュ時の交通量は何台/hなのか
  • 大型車の混入率は何%なのか
などによって実際の脅威度は大きく変わります。

速度を落とせば自動車の攻撃力は下がりますが、ここで言う速度とは実勢速度です。速度標識の数字だけ書き換えてもそれに実際の速度が伴わなければ無意味です。

環境因子も考慮すべきです。例えば、交通量の多い道路で自転車と自動車を混合させる場合、車道が2方向 × 3.0m幅の2車線だと、自動車はなかなか自転車を追い越せず、一部のドライバーが苛ついて自転車を煽るようになります(自動車の攻撃性が強くなりすぎるので、両者の共存は難しくなる)。交通条件が同じでも環境条件が変われば、例えば2方向 ×{1.5m + 3.0m}の4車線なら、自転車に向かう圧力は大きく緩和します。

歩行者と自転車の関係も同じで、個別の道路事情・交通事情に合わせた多面的な判断が必要です。

歩行者と自転車を混合させるか、自転車と自動車を混合させるかは、一概にどちらが良いとは判断できないのです。


実務的な判断基準の例


実務的な判断基準については下記記事のリンク先の意見書(第1章)に、国内の現行ガイドラインの問題点と諸外国の基準をまとめてあります。

国土交通省・警察庁の自転車ガイドラインについての意見