2017年11月29日水曜日

自転車レーンの危険性評価研究の感想

幸坂 聡洋・宮本 和明・前川 秀和(2017)「自転車専用通行帯整備個所における交通事故分析」『交通工学論文集』3(5), 21-28, doi: 10.14954/jste.3.5_21

これまで日本国内でおざなりにされてきた、「幹線道路に自転車レーンを整備して本当に事故リスクは下がるのか」という疑問に、事故統計の分析を通して真正面から答えようと試みた論文です。

2017年11月30日 文を微修正、写真を追加



研究背景


寺坂ら(2017)は自転車政策をめぐる国内外の動向として、日本が自転車政策の参考にしていたロンドンが、路面をペイントしただけの簡易分離は失敗だったと市長自ら認め、車道から構造的に分離する方向へ大きく舵を切ったことを取り上げています。この象徴的な転換劇が研究動機の一つになったようです。

国土交通省・警察庁はロンドンのこの動き以後も従前の方針を堅持し、安全性に関する科学的根拠に乏しい車道通行をさらに広範に推進するという過激な方向に突き進みましたが、寺坂ら(2017)はこれに再考を求める位置付けの研究と言えます。

国会図書館前の国道246号(論文を読みに行った時に撮影)
車道通行が安全であるとの科学的根拠は無いが、既に車道を走っている自転車利用者の利益になるとの理屈で、なし崩し的に整備が始まった「自転車ナビマーク」。しかし実際は、


今まで歩道を走っていた自転車利用者にも車道に降りるよう指導していると受け取られかねない看板が併せて設置されている。(※論文の研究対象は写真の「ナビマーク」ではなく帯状の「レーン」です。


こういう研究が出てくるという事実に学界の健全さが感じられますね(インフラ整備指針の策定に関わった学識経験者らは逆に、車道から構造的に分離しない整備形態の優位性を示すデータの収集に注力し、中立的視点を失うという、典型的な確証バイアスに陥っていましたから)。


事故リスクの証明には失敗


地域全体では自転車事故が減少していた中、同時期の自転車レーン整備区間では自転車対自動車、自転車対歩行者のいずれの事故件数も増加していたという分析結果を報告している寺坂ら(2017)ですが、結論から言うと、この研究には政策の見直しを迫る科学的根拠としての価値は有りません。

事故発生率の分母となる自転車交通量のデータが得られなかったためで、PDCA体制が未熟な道路管理者側に科学的検証を阻まれた格好です。

これまで国交省委員会の学識経験者らに(憶測に基づいて)過小評価されてきた単路での自転車対自動車事故(追突やドア衝突などの)リスクについても、死亡リスクの高さを指摘する先行研究を挙げたり、事故統計を発生場所で分析したり、現地観察をするなどして光を当てているものの、同じく交通量データの欠如から、決定打と言える研究にはなっていないのが残念です。


誤解を招く切り抜き引用


全体的には志の高い研究という印象ですが、幸坂ら(2017)には読者を誤解させる不適切な引用も見られました。

自転車レーンに対置される自転車道(車道から構造的に分離された自転車レーン)には交差点での事故の多さという欠点があると指摘する文脈で
を引用しているのです。

コペンハーゲンでの自転車道整備の影響を調査したこの研究には確かに、自転車道の整備後、単路では僅かに事故が減少したものの、交差点では事故が大きく増えたと書かれています。

しかし本文を読めば分かるように、その最大の要因は、幹線道路上で駐車できなくなった多数の自動車が細街路に駐車場所を求めて無信号交差点で曲がるようになったこと(つまり自転車の動線を横切る自動車が激増したこと)だと書かれています(Jensen, S.U., et al., 2007, p.3):
Prohibited parking is one of the most serious reasons why the construction of cycle tracks brings about more accidents and injuries. Prohibited parking on a road with a cycle track results in cars being parked on side streets, with a consequent increase in turning traffic, especially at right of way regulated junctions and more accidents resulting from turning cars.

幸坂ら(2017)はこの重要な補足情報を省き、「事故が増えた」という部分のみを引用したため、読者は「自転車道というデザインそのものに危険性が内在している」と誤解しやすいのです。

現在の日本の自転車政策という文脈にあっては、この切り抜き引用は特に問題です。なぜなら国は今、「自転車レーンを塞ぐ路上駐車問題はパーキングメーターの廃止と路外駐車場の整備で解決すれば問題ない」という発想でインフラ整備を進めようとしているからです(「自転車活用推進法」8条2号)。

Jensen, S.U., et al.(2007)が指摘する事故増加の隠れた真の要因が見過ごされて自転車道が否定視される一方、「幹線道路から曲がる自動車の増加」という全く同じ事象が逆に、「自転車道なんか整備しなくても自転車レーンで充分」という方針の根拠として都合よく語られている現状が放置されることになるんです。

私は幸坂ら(2017)を国会図書館の閲覧席でめくりながら、専門家が誤解の拡散に手を貸すような真似をしてんじゃねーと激おこでした。


先行研究に対する解釈の甘さも


幸坂ら(2017)は自転車インフラ整備と事故の関係についての先行研究も何本か概括しています。そのうちの一つに国土交通省のモデル地区調査結果があるんですが、
報告にある事故統計は事故発生場所を区別していません。整備された自転車インフラを利用していた時に発生した事故か、それ以外の空間を利用していた時の事故かが不明という丼勘定な調査で、インフラ整備と事故増減の因果関係を論じるには甚だ力不足です。

しかし幸坂ら(2017)は調査結果についての国土交通省の見解をそのまま受け入れてしまっており、それに対する自らの研究の意義・新規性は、事故の様態を細かく分析した点であると説明しています。