2016年9月7日水曜日

自転車通行空間のシミュレーター実験に見える屋井教授の価値観

鈴木 美緒・屋井 鉄雄(2006)「幅員と分離方法に着目した自転車の車道上走行空間の安全性に関する研究」『土木計画学研究・講演集』Vol.33

東京都品川区、大井町駅前の区役所通りをモデルとするCGの道路を自転車利用者とドライバーに提示した実験。

出典: 鈴木・屋井(2006)

車道上に表現された様々な自転車通行空間に対する自転車利用者の評価と、ドライビングシミュレーターでのドライバーの運転行動を調べ、分離工作物(ラバーポスト)が無い自転車レーンの方が双方にとって「有効」であると纏めていますが……



CGには自転車通行空間を塞ぐ路上駐車が見られず、自転車利用者にとって分離工作物は邪魔なだけの存在に感じられた可能性が有ります。しかし現実には、分離工作物の無い自転車レーンは路上駐車に塞がれてまともに機能しない場合が多いです。

シミュレーションのモデルになった大井町駅付近の都道420号(区役所通り)
商店街なので路上駐車需要が高い。
(出典: Google Maps Street View @35.6070836,139.7372952

シミュレーション実験はCG空間の作り方次第で結果をどうとでもできてしまうので、基本的に眉唾ものと考えた方が良いでしょう。更に言えば、鈴木・屋井(2006)が自転車利用者として実験に採用したのは「大学生54名(平均年齢23.1歳,男女比72:28)」であり、リスク許容度の高い高そうな年代、性別に偏っています。



一方、ドライバーのシミュレーター実験については、結果節の冒頭から既に

鈴木・屋井(2006)
実験は被験者ひとりあたり4回試行し,そのうち対向車や自転車との衝突のないもののみを分析に用いた.高齢者の有効サンプル数が道路によっては非常に少なく,一般的とは言い難い結果であることを先に断っておく.
※マーカー強調は引用者

という、何やら深い闇を感じさせる記述が有ります。分離工作物の無い自転車通行空間パターンのシミュレーションで高齢の被験者が自転車を撥ねる事象が多発したんじゃないか? これ……。

そして運転行動の分析結果について鈴木・屋井(2006)は、
分離方法がラバーポストの場合だけ他と比較して走行速度が下がることがわかり,狭い車道に物理的な境界のない自転車通行帯を設けることは,走行速度の面で負の影響を及ぼさない可能性が示唆された
と、自転車利用者にとっての事故リスクや不安感を無視し、車がスピードを出せるのは良い事だ、という旧態依然の価値観を露わにしています。この価値観は後の2008年の論文でも維持されています。

鈴木 美緒・屋井 鉄雄(2008)「自転車配慮型道路の幅員構成が自動車走行特性に及ぼす影響に関する研究」『土木計画学研究・論文集』Vol.25, No.2

自転車と車が構造的に分離され、両者が衝突する可能性の無い環境ならともかく、視覚的に区分しただけの環境で車の走行速度の低下を「負の影響」と断言する感覚には全く共感できません。人の命を何だと思ってるんだ、この教授は……。



この論文でここまで分離構造物が目の敵にされているのは、

鈴木・屋井(2006)
しかし我が国の車道整備の現状のままで自転車の車道走行を強要すると,自転車と自動車の交錯の問題が生じ,自転車にとって危険である.その一方で,交通量が多く歩行者と自転車の錯綜が深刻と思われる大都市部では,歩道や車道とは別の自転車専用道を設置する土地の余裕はなく,柵などを用いて幅員の狭い自転車レーンをつくっても柵への衝突などの危険性や利用者への圧迫感が生じることが予想される.そこで本研究では,欧米に倣い,日本の大都市部において自転車を車道上で走行させることによって歩行者の安全を確保することを前提とし,自転車の安全性と自動車の走行特性の観点からその可能性を検討することを目的とする.
という前提が有るからです。確かに都道420号の大井町駅付近の区間(車道幅員は9.6mくらい?)は分離工作物を立てれば圧迫感が強いでしょう(自転車通行空間を車道の片側に集約して双方向通行の3m幅の自転車道を整備するという選択肢も無くはない)。しかし、鋼鉄の車に40km/hでぶつけられるのと、自分でゴム製の分離工作物にぶつかるのでは、どちらがマシだと思うでしょうか、平均的な自転車利用者は。

また、鈴木・屋井(2006)は都市部の幹線道路が恰も土地に余裕の無いものばかりであるかのように述べていますが、東京には

土地に余裕が無いだって? おいおい。
(青山の国連大学前。2015年6月に撮影)

有り余る空間を車に独占させている路線も少なからず見られます。そしてこういう主要幹線道路ほど、まともな自転車通行空間の整備が手付かずで、車による空間支配が続いています。

これで自転車通行空間を整備したつもり?
(国道15号・札の辻交差点付近。2013年4月撮影)

更に、欧米諸国の内、幹線道路で車から構造的に保護されていない車道空間に自転車を走らせているのは、日本より自転車の交通分担率が低く、走行距離当たりの事故件数も多い自転車後進国です。「欧米」は日本より優れているという先入観を利用したトリックですね。



世界各地の都市、特にニューヨークロンドンが近年自転車インフラ整備に真剣に取り組んでいるのは、自転車が自家用車に代わる移動手段として有望だからというのが大きな理由です。

Mayor of London. (2013). "Mayor's vision for cycling", p.5
But at the very heart of this strategy is my belief that helping cycling will not just help cyclists. It will create better places for everyone. It means less traffic, more trees, more places to sit and eat a sandwich. It means new life, new vitality and lower crime on underused streets. It means more seats on the Tube, less competition for a parking place and fewer cars in front of yours at the lights.
※マーカー強調は引用者

New York City Department of City Planning. (1997). "New York City Bicycle Master Plan", p.1
The New York City Bicycle Master Plan is the final report of the first phase of the Bicycle Network Development (BND) Project, a joint Department of City Planning (DCP)-Department of Transportation (DOT) effort. The goal of the BND Project is to increase bicycle ridership in New York City, and the purpose of the Plan is to articulate the City’s action plan. The BND Project is partially financed through the Congestion Mitigation Air Quality (CMAQ) program of the federal Intermodal Surface Transportation Efficiency Act (ISTEA). The federal program provides funding for the planning, design and development of bikeways as a means of improving air quality, reducing energy costs, reducing congestion on existing roadways, and helping to provide for lower overall transportation costs.
※マーカー強調は引用者

しかし、鈴木・屋井(2006)の根底に透けて見えるのは「車の既得権益を維持すべき」という強力な信条です。だからこそ、都合の良い有識者として国に使われてきたのかもしれません。

※屋井鉄雄教授は
を務めた。



ちなみに今回紹介した論文、他の研究者から引用されていますが、

片岸 将広・ 岡田 茂彦・高山 純一・石川 俊之・坪 正浩(2008)「バスレーンを活用した「自転車走行指導帯」の設置による交通安全対策の効果と課題」『土木計画学研究・論文集』Vol.25, No.3
自転車の車道走行に関する研究として、鈴木ら6)は、自転車の車道上走行空間の安全性について、幅員と分離方法の観点から考察しており、車道上に自転車通行帯を設ける場合、自転車とクルマに物理的な境界を設けない方が、双方にとって有効であるとしている。

実験手法の問題点や価値観まで理解した上で引用してるんでしょうかね?