2016年6月4日土曜日

専門家の言を鵜呑みにした警察庁による不適切なゾーン30の拡大

最近、ゾーン30の標識を各地で見掛けるようになってきましたが、規制速度と道路環境の釣り合いが取れていない例が多いです。

東京都・豊島区高田3丁目(場所



上の写真のような場所で車に30km/hで走られては、子供を安心して一人で歩かせられません。子供同士で遊びに夢中になって沿道の公園や見通しの悪い交差点から飛び出したら簡単に車に撥ねられてしまいそうです。

最初の例はまだマシな方で、どう見ても10km/hくらいでしか走れなさそうな狭い道でも30km/h制限にされてしまっている場所も有ります。

東京都・八王子市大楽寺町(場所

ゾーン30の根底にある思想は、車に脅かされていた生活空間を歩行者の手に取り戻し、暮らしの質を高める事だったはずです。単に交通事故の件数を減らせれば良いのではありません。

しかし現実には今、各地の警察は「生活道路」というだけで単純にゾーン30に指定しています。一定の範囲を面的に規制するというゾーン30の発想が広まる以前であれば、それぞれの現場に合わせてきめ細かく20km/h制限や10km/h制限が掛けられていたであろう狭い道路まで、一律にゾーン30化されていくのを見ていると、これは実質的に後退なのではないかとさえ思えます。この問題については以前にも記事を書きました:

過去の関連記事
「ゾーン30」研究報告書の感想
ゾーン30を巡るボタンの掛け違い
八王子・大楽寺町のゾーン30


ところがその後、30km/hという水準の妥当性について、交通工学研究会が次のように説明しているページを見付けました:

交通工学研究会「生活道路の交通安全対策 Q&Aコーナー
Q.17:車輌の時速30kmは安全な速度と言えるのか。時速20kmであれば衝突しても大丈夫と感じるが、時速30kmでは無事で済むとは考えにくい。

A.17:衝突時の車輌速度と歩行者が致命傷を負う確率を調査した結果、時速30kmまでは減速による効果が大きいことや(時速20kmの同確率は大きく変わらない)、交通の円滑性等を考慮すると時速30kmが適当と考えられる。

まず第一に指摘したいのは、生活道路という環境は車の円滑な通行を優先するような場所ではないという事です。日本では車の流れを至上命題とする風潮が非常に根強いですが、まさかゾーン30の専門家までもがこの旧来の価値観に染まったままだとは思いませんでした。かなりショックです。

第二に注目すべきは「致命傷」という曖昧な表現です。Q&Aコーナーの書き手が参照したと思われる報告書(警察庁の通達の根拠になったもの)には、

生活道路におけるゾーン対策推進調査研究検討委員会(2011)「生活道路におけるゾーン対策推進調査研究報告書」(p.23, pdf p.29)
自動車の走行速度が 30km/h を超えると歩行者が致命傷を負う確率が急激に高まる結果となっていることから、歩行者等が重大な障害を負う確率を低減するためには、自動車の走行速度を約 30km/h 以下に抑える必要がある。
と書かれており、「致命傷」を「重傷」の類義語として扱っています(マーカー強調は引用者)。しかし報告書が引用したWHOの資料のグラフ(*)のタイトルは、"Probability of fatal injury..."です。

Global Road Safety Partnership. (2008). "Speed management: a road safety manual for decision-makers and practitioners", p.5 (pdf p.31)

* このグラフは別の報告書から引用されたものであり、そのオリジナルのグラフ(p.41)も根拠のデータはさらに別の3つの報告書なので、検討委員会は曾孫引きをしている事になります。


OECD International Transport Forum. (2006). "Speed Management", p.41 (pdf p.42)

こちらがオリジナルのグラフ。本文を読むと分かるように、

OECD-ITF (2006, p.40)
The probability of a pedestrian being killed in a car accident increases with the impact speed. Results from on-the-scene investigations of collisions involving pedestrians and cars show that 90% of pedestrians survive being hit by a car at speeds of 30 km/h; whereas only 20% survive at speeds of 50 km/h (see figure 2.5).
"fatal injury"は「命に関わるような(でも生き残る可能性もある)怪我」ではなく「死亡に繋がった怪我」です。つまりこのグラフが表わしているのは「重傷率」ではなく「死亡率」です。


この正確な文意に基づいて交通工学研究会のQ&Aの真意を読み解くと、
撥ねられても10人に1人しか死なないんだから、車の流れの為に我慢しろ
と言っているのと同じです。人の命の重さについての感覚が狂ってますよね。だからこの分野の専門家は信用できないんです。

* しかも、実際はもっとリスクが高いのではないかと指摘する研究が去年発表されました:
Höskuldur R.G. Kröyer. (2015-07). "Is 30 km/h a ‘safe’ speed? Injury severity of pedestrians struck by a vehicle and the relation to travel speed and age". IATSS Research, Vol.39, Iss.1, pp.42-50.


警察庁に報告書を出した検討委員会も、一般向けに広報している交通工学研究会も、この非常に重要な部分を暈して、リスクを小さく誤認させています。そして警察庁はその騙しのテクニックを見抜けず、報告書を鵜呑みにして通達を出し、不適切なゾーン30を各地に増殖させている。これが現在の日本の状況です。


あ、そうそう、以前、杉並区井草地区のゾーン30について荻窪警察署に問い合わせた事が有るんですが、「20km/h制限の方が妥当ではないか」という私からの問いに、交通課の担当者が何て答えたと思います?
他の20km/h規制の道路では20km/h以上で走る車が多い。だから、30km/h規制は実態に合っている。
ですよ。