2015年6月24日水曜日

教皇が回勅で都市問題に言及

先日フランシスコ教皇が発表した回勅で環境問題や都市問題が取り上げられていました。その内容は現代社会に広く共通する課題について懸念を示したもので、キリスト教圏では結構大きなニュースになっているようです。英語版を一部抜粋します。



Francis(2015年6月18日公開)Laudato si'
43. Human beings too are creatures of this world, enjoying a right to life and happiness, and endowed with unique dignity. So we cannot fail to consider the effects on people’s lives of environmental deterioration, current models of development and the throwaway culture.

44. Nowadays, for example, we are conscious of the disproportionate and unruly growth of many cities, which have become unhealthy to live in, not only because of pollution caused by toxic emissions but also as a result of urban chaos, poor transportation, and visual pollution and noise.
このニュースは日本では殆ど報じられませんでしたが、都市や交通も含めたあらゆる人間活動の根源的な目的が何だったかを再確認する機会として象徴的な文書だと思います。

世界では何千何万という学者やエンジニアが日々論文を書いたり設計図を描いたりしていますが、それぞれの研究目的や設計意図の究極の土台が何であるかが常に明確に意識されているとは限りません。時には、何の為の研究か、誰の為の設計かを見失って根無し草のように漂流しているものも有るでしょう。そしてそれは時として社会を間違った方向に導きかねません。

人間が生きている究極の目的は何かという根源から、細分化された個別の研究テーマという枝葉まで、しっかりと線が繋がっているかどうか——そんなメッセージを私は読み取りました。