2014年5月21日水曜日

馬場直子氏の記者報告会

竹橋の毎日新聞社で開催された
毎日メディアカフェ記者報告会
馬場直子のチャリ記者奮戦記~自転車の安全を目指して~
を聞いてきました。



気になったトピックを幾つか抜粋して紹介します。
(会場でのメモを元にしているので、元の発言とは表現が違います。)



馬場記者の話
プライベートでは普段自転車に乗っていない。

え?



馬場記者の話
神戸の裁判では事故当事者の小学生がヘルメットをたまたま
置き忘れてしまい、事故当時被っていなかった事も問題にされた。

この話を聞いて私が思った事
日本ではヘルメットを被る事が疑いの余地の無い正義だと思われているが、
インフラが安全なオランダではヘルメットを被る必要性が薄く、
律儀に被っているのはローディーくらい。
(意図的に普段より高いリスクを取るのだから当然だ。)

ヘルメットを義務化すれば自転車のモーダルシェアを
押し下げる懸念も有り、必ずしも必要とは思われていない。

ヘルメットの効果を支持するように見える調査結果の数字も、
解釈は慎重にする必要が有る。(参考URL



馬場記者の話
近年の交通事故裁判で自転車に高額賠償が命じられるようになった背景には、
東京や大阪など大都市の地裁で交通事故を専門に担当する裁判官が
『法曹時報』という刊行物に「歩道上での自転車と歩行者の事故では
自転車側の基本過失割合を100%に」と書いた事が恐らくは有る。

この話を聞いて私が思った事
自転車が歩道を走っているのは、
「安心して」走れる通行空間が他に用意されていないから。
(車道の端を走るのが統計上「安全」でも、「安心感」が無ければ駄目。)
つまりインフラの側にも重大な過失責任が有る。

それを無視して事故当事者のみを責めるのは著しく不当だし、
道路管理者にインフラ改善を促すフィードバックが働かないので、
事故が発生する構造が放置される。これはシステムの在り方としても問題。
(だから鉄道や航空より事故率が高いのでは?)

こんな裁判の仕方に裁判官は何の疑問も感じないのだろうか。
日々押し寄せる事故裁判を右から左へ処理する判決マシーンと化して、
思考停止に陥っていないか?

また、高額賠償の報道を聞いて、「じゃあ保険に入らなきゃ」と
受動的な発想しかできない国民も未熟すぎる。

2014年5月22日追記
保険に入る事自体は悪い事ではないが、今までのように
専ら事故当事者のヒューマンエラーのみを責める裁判を黙認するなら、
その保険金は道路管理者が負うべき賠償責任まで肩代わりする事になり、
システムの改善を阻む方向に作用してしまう。



馬場記者の話
東工大の鈴木美緒助教の実験で、歩道を通行する自転車は、
車道を通行する場合より、ドライバーから見落とされやすいと分かった。

この話を聞いて私が思った事
実験で言えるのは、実験に使われた特定の歩道や車道についてだけ。
これを歩道一般、車道一般に拡大解釈してしまう人が出るかもしれない。
さらに歩道から類推して自転車道も危ないと決め付ける人も。
言語と世界と認識のズレは悩ましい。



馬場記者の話
国交省の自転車ガイドラインが使われない背景には、
地方分権に道路行政も含まれてしまった事と、
道路空間の再配分という利害調整が面倒だからという事が有るようだ。

この話を聞いて私が思った事
逆に、インフラ整備をしようという自治体が国交省のガイドラインに
頼り切ってしまうのも大問題。あのガイドラインが
参考にしている欧米の事例は一世代前のもので、欧米では
その危険性が認識され、既に新世代のインフラへの改修が始まっている。

2014年5月22日追記
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それ以外にも、海外の設計ノウハウを大量に取り零していたり、
却って事故リスクを増すような指針が示されていたりと、
まともに使えるガイドラインとは到底言えない。

地方自治体の道路担当の職員はこういう誤情報に惑わされない為にも
海外の最新知見を自ら学ぶべきだが、そういう姿勢が欠けている。



馬場記者の話
宇都宮に取材に行ったら、一桁国道でも車道の端に
自転車マーク方式で通行空間が整備されている所が有った。
現地の高校生は自転車で横の歩道を走っていた。
宇都宮も車社会なので歩道に歩行者は少ない。

この話を聞いて私が考えた事
交通量が多い幹線道路までピクトグラムで済ませたのは明らかに失策。
自転車利用者が体感する安全性を軽視した結果だ。
また、歩行者が少ないのに歩道が有るというのもおかしい。
そういう場所では、車道と自転車道だけで道路断面を構成するのが合理的。

(歩道と自転車道では構造上の要求事項が全く異なるので、歩道では駄目。)



馬場記者の話
なぜ日本では車中心の道路政策が取られてきたのかと
国交省OBに聞いたら、車のような圧力団体が
歩行者や自転車には無かったからだそうだ。



馬場記者の話(会場からの質問への回答)
今まで取材してきた自転車事故現場の中で、
事故を受けて直ぐに改修工事を行なった例は無い。



会場からの発言(大阪府豊中市の議員さん)
自転車レーン800mの整備に1200万円も掛かった。
マークなら一個8000円なので負担が少ない。
自転車以外にも老朽インフラ問題が有ってお金が足りない。

外部不経済がフィードバックされないシステムの悲劇がここに。

この話を聞いて私が思い出した話
(ロンドンのCycle Superhighwayを2011年に取材したFietsberaadの記事
……自転車ネットワークの改良には1億6600万ポンドが投資されたが、交通委員会に拠れば、今の所、目立った成功は無い。計画ではこの投資で自転車による移動が12万回増えるはずだったが、スーパーハイウェイの2本の試験路線は5000人/日しか引き付けていない。また、インタビューを受けた利用者の内、サイクルスーパーハイウェイが理由で自転車に乗り始めたと答えた人は1%だった。そして、利用者の60%は青いレーン上であっても少しも安全を感じていないと答えている。

もう一つ思い出した話
海外のブログに投稿された読者コメントから)
求めすぎない方が政治的に簡単だという思考の背後に有る論理は理解できるが、実際にはそれだって簡単ではない。ヴァンクーヴァーでの経験では、質の低い自転車インフラの整備にも、質の高いインフラと同じくらいの反対が有った。反対は結局下火になって、使いやすいインフラができた(そして反対派の何人かは、それがどれほど良いものかを目の当たりにすると、最終的に自転車を買って、自分でも利用し始めた)。何を要求しても政治闘争が起こるなら、なぜ質の高いものを求めないんだ?



馬場記者の話(会場からの質問への回答)
埼玉大学の教授の発案で新潟の商店街に可動式のボラードが設置された当時、
ドライバーから「なんで通れなくしたんだ!」という反応が有った。
でも今では「ボラードが有るのに強引に通るドライバーがいるのか!?」
というものに変わっている。意識は変化しているようだ。



その他

馬場記者のプレゼンテーション資料で、
ロンドンの自転車インフラの例として、
advanced stop line (bike box) の写真が示されていました。

馬場記者は左折巻き込み防止策として肯定的に紹介していましたが、
あれはロンドンが大陸のインフラ設計ノウハウを誤解した例として
特に悪名高いものの一つです。

あんなのを交通量の多い幹線道路に作るなんて正気の沙汰じゃありません。

2014年5月22日追記
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