2013年7月19日金曜日

『自転車事故過失相殺の分析』の感想 (7)

前回の続きで、過失相殺シリーズの7回目です。

今回は東京都青梅市の事故を取り上げます。
日本国内での異文化摩擦とも言える、珍しい裁判例です。



注意事項
  • 引用部分の中に、原文に無い改行やマーカー着色を加える事が有ります。
  • 事故状況についての情報が限定的なので、
    この記事での指摘は見当違いである可能性が有ります。


東京都青梅市の住宅街の交差点(信号無し)で、
自転車同士が出会い頭衝突した事故です。

よく有る事故類型ですが、
本件では原告の属性が特殊でした。

p.336
ウ 当事者の属性
自転車A(原告・控訴人)・男、競輪選手
自転車B(被告・被控訴人)・女、高校生

判決文を読むと、原告も裁判官も、
「自転車とはこういうものである」
という基礎的な認識が相手と食い違っていて、
しかもそれを両者とも自覚していない事が窺えます。

原告は自分に不利な主張を、そうとは知らずにしているようですし、
裁判官は競輪の練習用自転車というだけで即危険と決め付けています。
(更に言えば、被告も原告が痛いはずの所を突いてない。)

片やスピードを極限まで追及した競輪という文化、
片や低速走行に特化したママチャリという文化。

一種の異文化摩擦ですね。

では、具体的にどのような異文化摩擦が有ったのか、
実際に読んでみましょう。

まずは原審の認定事実から。

pp.336-337
「被告は、自宅からJR小作駅に向かう予定で、
本件交差点の西方南側にある自宅を出て
西側から本件交差点に向かったが、

交差点の手前右側に駐車車両があったため、
いったん道路の中央より左寄りに出て、
一時停止線付近で徐行し(ただし一時停止はしなかった)

やや前傾姿勢をとって
交差する南北道路の交通の有無を窺がいながら
道路中央付近から交差点に進入し、

右折しようとして進路を右側(南側)に取りかけたところ、
右前方(南側)から北進してくる原告の自転車を認めた。」

被告の行動について要点を纏めると、
  • 交差点を小回り右折しようとした
  • 交差点進入時に一時停止しなかった
  • 進行しながら安全確認をした
といった辺りですね。どれも時間的・空間的
安全マージンを自ら削る行為で、明白な過失です。

この他に、「一時停止線付近で徐行し」と有りますが、
被告が言う「徐行」は単にペダルを漕ぐのを
中断しただけ(=惰行)かも知れず、
具体的な速度やその後の加速度も分からないので、
過失割合を考える上ではあまり重視できません。


p.337
「一方原告は、ヘルメットを着用して
競輪選手の街道練習専用自転車に乗車し、

南北方向の下り坂の西側歩道端から1メートル程の
車道上を前傾姿勢で北進していたが、

進路前方に右折しつつ進行してくる
被告の自転車を認めた。」

原告については
  • 街道練習専用の自転車に乗車していた
  • 道路の端から3m程度の安全マージンを確保していた
    (歩道の幅を2mと仮定した場合)
  • 前傾姿勢だった
辺りですが、原告側については情報量が少ないですね。

事故回避にとって明らかにプラス或いはマイナスになる行動は
安全マージン確保くらいしか有りませんが、それとて
本書の引用範囲では証拠が不明なので本当かどうか。

「前傾姿勢」は被告・原告ともに取っていたとされていますが、
これは必ずしも前方不注視や急加速と結び付くものではないので、
単独の認定事実としては、あまり意味が有りません。

問題は「街道練習専用の自転車」で、これが具体的に
どういう物だったのかが非常に重要です。
  • 後輪のスプロケットは固定ギヤかフリーギヤか
  • ハンドルバーはフラットかドロップか
  • ブレーキレバーの取り付け位置はどこか
  • 原告は事故直前にハンドルバーのどこを握っていたか
  • ペダルはトウクリップかクリップレスか
  • トウクリップの場合、ストラップは締めていたか緩めていたか
これらは事故回避の可能性と密接に関係します。

ギヤが固定であれば、サドルから腰を浮かせて
重心を後方に移すのが難しくなるので
急制動時に自転車と乗員が前転しやすくなり、
最大減速度を低く抑えざるを得なくなります。

ハンドルバーがドロップ型の場合、握る位置によっては
咄嗟にブレーキレバーに指が届かない事が有ります。

ペダルがトウクリップ式でストラップを締めていた場合、
すぐには靴をペダルから外せないので、
不用意に急停止すると転倒します。
これは、衝突回避をブレーキではなくハンドル操作で
行なおうとする動機に繋がります。

こうした諸々が、
判決文(の中で本書が引用した範囲)
だけでは一切不明です。



続いて控訴審の認定事実を見ていきます。

p.337
「控訴人は、
本件事故は被控訴人が高速度で立ちこぎをしながら
交差点に進入してきたために発生したものであり、
一方控訴人はいつでも停止できる程度の速度で走行しており
時速20キロメートルも出ていなかった旨主張する。

しかし、本件事故直後に転倒した被控訴人の顔右半分が
腫れ上がり内出血して変色していたとの事実から
控訴人のヘルメットが被控訴人の顔面右側に衝突したものと
みることができ(証拠略)、

控訴人は当時前傾姿勢(証拠略)で運転していた
というのであるから、被控訴人が立ちこぎをしていたこと
と高さにおいて整合しない
(控訴人車両が衝突により前転したとしても
ほぼ前輪と同時にヘルメットも被控訴人に衝突しているから
ヘルメットの高さはほとんど変わらない。)。」

ここが本件の異文化摩擦の最たる部分ですね。
原告の競輪選手にとっては、20km/h(未満)は
「いつでも停止できる程度の速度」で、言わば徐行です。

ところが、後で見るように、
裁判官は20km/hを「高速」と認識しており、
両者の価値観は完全にずれています。

このズレは私自身も体験した事が有って、峠越えを終えて
かなりの疲労状態でロードバイクをノロノロ運転をしていた時に、
道端にいた小学生たちがこちらを指して「速えー!」と
驚きの声を上げていました。寧ろその認識の違いに驚きです。



もう一点、控訴審の事実認定で問題なのは、
控訴人が前傾姿勢で被控訴人が立ち漕ぎなら、
負傷部位の高さが一致しないはずだという論理です。

これは誤りです。

立ち漕ぎは何も上半身を垂直に立てた乗車姿勢とは限りません。
サドルから腰を浮かせれば即ち立ち漕ぎです。
従って、腰を浮かせつつ上半身を深く前傾していれば、
負傷部位の高さは一致します。

裁判官は立ち漕ぎと前傾姿勢が同時に成立し得ない
排他事象であると考えたようですが、
これもまた、ヌルい乗り方しか知らない裁判官と
競輪選手の間の異文化摩擦と言えるでしょう。



控訴審の続きに戻ります。

p.337
「また、被控訴人が高速で飛び出してきたとの事実についても、
急制動や転把の措置をとる間もなく衝突したとの控訴人の供述から
控訴人進行方向から左方の見通しが悪い現場でそのような事実が
控訴人から確認できたかは疑わしい

(なお、控訴人は被控訴人側から見て右側の塀の切れ目を
若干過ぎた地点で控訴人が進行してきた右側部分は
はるか遠方まで見通すことができたはずである旨主張するが、
写真(略)からはそのような事実を認めることができず、
他にこれを肯定し得る証拠もない。)。」

両者の衝突直前の速度は、自転車が撥ね飛ばされた距離や
車体の変形量、負傷の程度から算出すべきでしたね。
「供述が信用できる/できない」というレベルの議論は、
所詮、弁護士の舌先でどうとでもなります。

塀の切れ目については、
既に沿道の建物が建て変わっているようなので、
当時どうだったかは検証できません。


p.337
「更に、控訴人が時速約20キロメートルで走行して
本件交差点に差しかかったことは従前自認していたものである上、
控訴人は公判廷においても本件事故前は午前中と午後に
それぞれ街道を3時間くらいかけて7、80キロ走行する
練習をしていた旨供述していることや
本件事故による被害状況などから十分認められるものである。」

うーん、これは酷い悪文ですね。文の途中で
主題(トピック)が行方不明です。どうやらこの裁判官、
助詞の「は」の使い方が分かっていないようです。

文法だけでなく論理も酷いです。

1点目。被告人が「時速20キロメートルも出ていなかった」と
主張しているのに、いつの間にか「時速約20キロメートル」
だったと自認していた事になっています。

2点目。その「時速約20キロメートル」の根拠として、
控訴人が事故前に長距離を高速で走行していた事を挙げていますが、
練習時の走行速度と事故直前の走行速度には
何ら論理的な繋がりが有りません。

3点目。もう一つの根拠として被害状況を挙げていますが、
衝突速度と被害状況の関係を物理的に説明する式が示されていません。
また、式が有るなら有るで、なぜ控訴人の速度だけを約20km/hと断定し、
相手の被控訴人の速度を不明とするのかが疑問です。

(以上3点を逆に捉えれば、原告が実際より低い速度を
供述していた場合、それをそのまま採用してしまった事になります。)



では、最終的に過失割合はどう判断されたのでしょうか。

p.337
「本件事故は控訴人において見通しの悪い本件交差点内に
時速20キロメートルくらいで進入した速度超過
及び前方不注視、被控訴人の一時停止の標識の
ある道路から交差点に進入する際の安全確認の
不十分及右折方法の不適切によるものであるところ、

ちょっと待った。

判決文では一度も言及されていませんが、
本件交差点は控訴人側の道路(*)が明らかに幅員が広く、
(事故当時は不明ですが少なくとも現在は)中央線が有る
優先道路です。
* 道交法の定義上、車道と歩道を合わせた範囲を指します。
従って、最初から徐行義務など有りません。(道交法36条3項)

また、ここで「速度超過」という表現を使っていますが、
車だろうと自転車だろうと、交差点通過時の速度を
具体的に「何km/h以下にせよ」という規制は有りませんし、
告訴人側の道路の制限速度は(現在は)40km/hですから、
「速度超過」には当たりません。

もう一点の「前方不注視」については、被控訴人の
交差点進入速度が不明なままであり、
他に証拠も無いので、判断はできません。

一方、被控訴人は、小回り右折、不適切な確認動作に加え、
一時停止の無視も犯していますが、この点を指摘していません。

何この扱いの差。


p.337
競輪選手が公道を練習用自転車で走行している場合
あっては、本来公道は競輪選手の走行練習の場ではない上、
練習用自転車であっても高速度を出すことが
可能であるなど走行能力が普通の自転車とは
異なることから、歩行者や他の自転車に対して
事故防止について特に配慮が必要とされるものであり、

これもおかしい。
「練習用自転車で走行する」イコール「練習走行する」
ではありません。

実際、控訴人は下り坂で20km/h未満という、
この種の自転車としては非常に遅い速度で
走行していた事から、事故当時は練習時間外だったと考えられます。

また、下り坂で20km/hなら、競輪選手ではない一般の人が
普通の自転車に乗っていても自然に出る速度だと考えられます。
(勾配の度合いや長さが分からないので推測ですが。)

参考として、国交省の国土技術政策総合研究所の実験では、
平坦なコースでの平均値が16.8km/h、標準偏差が2.1
という結果が出ています(*)。

* 「自転車の走行空間等の違いによる旅行速度の差異に関する分析」p.2

以上から、事故直前の控訴人は
普通の自転車を運転しているのと変わらず、
特別な注意義務を負う必要は無いと言えます。
(但し、練習用自転車の仕様によってはこの限りではない。)

それでも特別な注意義務を背負えと言うなら、
もう単なる感情論です。これも異文化摩擦の一例ですね。


p.337
本件で被控訴人が重大な傷害を負う原因となったのは
控訴人の走行速度が時速20キロくらいであったことが
主たる原因といわざるを得ないことも併せ考えると、
双方の過失割合を控訴人60、被控訴人40とするのが
相当である。」

本書の引用範囲だけでは
本当に「主たる原因」なのかどうか不明ですが、
そもそも論で言えば、被控訴人が一時停止と安全確認を
確実に行なっていれば防げた事故です。

確かに、現在の日本では多くの自転車が交通規則を無視しており、
そうした実態を織り込んだ危険予測は必要です。
この点では、控訴人の過失を完全に否定するのは
難しいかもしれません。

しかし、幾ら自転車の交通が無秩序だからといっても、
それは被控訴人の違反行為を甘く見て良い理由にはなりません。
裁判官が法の秩序を蔑ろにしたらアカンでしょ。

それなのに裁判官は事故回避の責任を控訴人に押し付け、
交通規則を無視した被控訴人にはベタ甘な判断を下しています。
公平とは程遠い、偏見で歪んだ悪質な判決と言わざるを得ません。

(なお、公道で練習走行する競輪選手の中には、
交通規則の遵守意識が低く、本当に危険な運転をしている人も
いないわけではないようです。しかし、だからと言って
この裁判を「見せしめ」に使って良い事にはならないでしょう。)



判決文は以上ですが、本書の論評でも同様に
無知や思い込みによる誤った議論が見られます。

p.337
本件は、一方競輪選手Aが競輪練習用自転車を
運転、他方Bは普通自転車を運転していた事案であり、
Bの側に一時停止規制があった。
したがって、四輪車同士の場合の過失相殺の例
(別冊判タ16号【57】図)を本件にそのまま当てはめても、
この判決の結論は出にくい。

別冊判例タイムズ16号を元にした
林洋 2007『交通事故の過失割合〈早見表〉』技術書院
所載の表(p.7)に拠れば、本件と同じ事故類型の場合、
四輪同士の基本過失割合は、

競輪選手側 10%
相手側 90%

です。更に、本件では相手側に
「早回り右折」の過失が有りますから、

競輪選手側 0%
相手側 100%

となります。
よくもまあこれを60:40まで持って行ったもんだ。


p.337
本件では、一方が、高速性能があり制動能力のある
競輪練習車両であって、また、運転者も高度の
自転車運転能力のある競輪選手であり、他方が
普通自転車で運転者も通常人の場合に、単純に
双方が自転車であるとして過失割合を論ずるのは
適切ではないと思われる。

競輪の街道練習用自転車に高速走行性能が有るというのは、
まあそうでしょうね。
  • 人体の筋力を最大限に生かすフレームのジオメトリ
  • 高品質で回転抵抗が少ないベアリング
  • 高剛性でエネルギー損失が少ない部品
  • 高圧で転がり抵抗が少ないタイヤ
一方のママチャリは、
  • 筋力を駆動力に変換しにくいジオメトリ
  • 質の低いベアリング
  • 撓みが大きく、力を吸収してしまう部品
  • 低圧で、転がり抵抗が大きいタイヤ
これらを考えれば納得できます。

しかし制動能力については、練習自転車がママチャリより
上かどうかは実験してみないと分かりません。
制動時に最も重要なフロントブレーキは
練習用自転車もママチャリもキャリパーブレーキであり、
基本的な構造は同じです。

また、競輪選手は運転能力が高いと言いますが、
それは飽く迄も競輪場での試合に於けるものであり、
必ずしも一般の道路での事故回避能力が高いとは限りません。
試合中に死角から人が飛び出してくる事なんて無いでしょ?

参考として、レーシングドライバーが一般ドライバーより
事故を起こしやすいというアメリカの研究が有ります(*)。

* 牛生扇(平尾収)1995
『歩行者 人動車 道 路上の運転と行動の科学』
三栄書房 p.91


そしてこの後、控訴審の前の原審で
衝撃的な発言が有った事が明かされます。


pp.337-338
ところで、本件の原審(東京地裁八王子支部
平成14年1月17日判決(交民35巻6号1771頁))は、

/* 中略 */

自動車、単車の機能や危険性を前提として定められた
過失割合の一般的基準を自転車同士の事故に対し
そのまま適用ないし準用するのは相当でない
というべきであるとしている。


そして、自転車同士の基本過失割合は50:50というべきとし、

そのうえで

信号機のない見とおしの悪い交差点を時速20キロほどで
前方を注視せず進入した被害者(競輪練習用自転車)と
一時停止規制のある道路から右折進行した加害者
(自転車)が衝突した本件事故について、被害者側
(競輪練習車)55:加害者側(一時停止側)45の
過失割合を相当としていた。

えええええええええええええ。
そりゃいくら何でも乱暴すぎるよ。

原審の裁判官は自転車を、
ランダムに衝突する分子か何かのように捉えてるのか?

車同士の過失割合基準が使えないというなら、
その根拠を検証しないといけませんね。

同じ箇所を省略せずに引用し直します。
(原文を箇条書きに変更しました。)

pp.337-338
ところで、本件の原審(東京地裁八王子支部
平成14年1月17日判決(交民35巻6号1771頁))は、
自動車や単車と自転車との違いを一般化して、前者が

  1. 運転免許を要すること、
  2. 交通法規により走行方法や優先順位について規準が定められ、
    互いに定められた規準に従うことが期待されていること、
  3. その重量や機能からして自動車や単車に比して
    自転車は容易に制御でき、他者と衝突した場合に
    相手方に与える衝撃や外力もはるかに少ないこと、
  4. 自転車が自動車や単車と衝突した場合は、
    自転車自身の速度があり転倒や巻き込まれを生ずる場合も
    少なくないことから、歩行者が自動車等に衝突した場合と比べて、
    むしろ被害が増大することが多いことなどから、
    自転車の注意義務や過失は、加害者としての過失が
    問題にされることは少なく、被害者的立場から
    過失相殺として考慮されることが多い

として、自動車、単車の機能や危険性を前提として
定められた過失割合の一般的基準を自転車同士の事故に対し
そのまま適用ないし準用するのは相当でない
というべきであるとしている。

本書の論評は車と自転車の違いを「一般化して」と、
恰も一般論であるかのように書いていますが、
原審の裁判官は50:50という過失割合を
本件という具体的な事例に直接当て嵌めて
議論の出発点にしていますから、
これは一般論ではなく、個別論と捉えるべきです。

それを前提に、一つずつ見ていきましょう。


1. 自転車には運転免許が無い

当事者の年齢は不明ですが、片方は高校生なので、
原付の免許なら持っていた可能性が有ります。
その場合は交通法規を知らなかったとは言えなくなります。

また、自転車運転中の違反でも、道交法103条1項5号の規定により、
免許の取り消し・停止の処分が課される場合が有りますから、
違反行為への抑止力が無いとは言えなくなります。


2. 自転車は交通法規を知らない

本件交差点の被告側の道路には
路面に停止線(と「とまれ」の文字)が引かれていました
交通法規を知らずとも、止まるべき事は分かるでしょう。

2013年9月14日訂正
現在は停止線と「とまれ」の文字が Street View で見られますが、
事故当時も有ったかどうかは確認できていません。

3a. 自転車は制御が容易
3b. 自転車は相手に与える衝撃が小さい

制御が容易だからと言ってもメチャクチャな
運転をして良い事にはなりません。
実際、本件では衝突を回避できていません。

自転車が相手に与える衝撃が車より小さいのは確かですが、
自転車事故による負傷は、車体との一次衝突ではなく、
その後の転倒で地面に二次衝突した時が主要な原因に
なる場合が多いようです。

実際、本件では、

p.336
 エ 被害の程度
A・傷害 頸椎捻挫
B・傷害 後頭部ひび割れ骨折

ですから、B(被告)は衝突後に後ろ向きに倒れ、
後頭部が地面に叩き付けられたものと推測できます。


4. 自転車事故の過失相殺率は被害者的立場が考慮されている

これは恐らく、自転車と車の事故の過失相殺率について
述べているものだと思います。では、仮に本件を
車(原告)と自転車(被告)の事故だとした場合、
過失相殺率はどうなるのでしょうか。

前出の『交通事故の過失割合〈早見表〉』によれば、
基本過失相殺率は車50:自転車50です。(p.114)
(四輪車同士なら10:90)

小回り右折については明示されていませんが、
これを「著しいまたは重過失」とした場合、
車45:自転車55、ないし車40:自転車60です。(p.140)
(四輪車同士なら0:100)

まあ要は、自転車は被害者だから過失割合は
大幅に割り引いてやろうというものですね。

自転車同士の事故の場合はこの「被害者補正」を
無くすのが相当という事でしょうか。

あれ?

じゃあなんで、

p.338
自転車同士の基本過失割合は50:50というべき

って結論になるのかな?
被害者補正込みの値と変わってないじゃないですか。



以上から、原審の裁判官の論理は破綻しており、
過失割合の出発点を50:50にしたのは誤りと考えられます。

控訴審もこの問題含みな原審の論理を鵜呑みにしているようですね。
(本書が引用した範囲だけでは分かりませんが。)
判決に対する本書の論評も、競輪は特殊だから、
の一言で納得してしまっています。

全く酷い。



最後に事故防止の観点から。

本件のように交差点手前で一時停止しないで
飛び出してしまう自転車は、なぜこんなに多いのでしょうか。

恐らくその最大の原因は、
日本で自転車の交通安全教育が
まともに為されていない事です。

信号機やガードレールの設置には金を掛ける。
でも教育には時間も手間も割きたくない。
小学生に対して1、2回実施して終わり。
これでは安全運転の技能が定着しないのも道理です。

継続的に教えていかないと内容が薄れて
運転が自己流になってしまうでしょうし、
中学生、高校生、成人、老人と、年齢に応じた
内容を教えていく事もできません。

このシリーズの過去記事でも書きましたが、
私は、こういう社会背景こそが真の意味で
最大の過失を犯している当事者だと思います。