2013年6月17日月曜日

『自転車事故過失相殺の分析』の感想 (4)

前回の続きで、過失相殺シリーズの4回目です。

今回は京都市下京区の事故を取り上げます。



注意事項
  • 引用部分の中に、原文に無い改行やマーカー強調を加えている場合が有ります。
  • 事故状況についての情報が限定的なので、見当違いになっている場合が有ります。

まずは事故状況を判決文から。

p.186
(1) 本件事故現場は、国道沿いの自転車の通行が許された
幅員4.3メートルの歩道(以下『本件歩道』という。)上である。
本件歩道は道路寄りの幅員2.1メートルの部分が
自転車通行指導帯となっている。

事故現場

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p.186
(2) 被告/*中略*/は、平成10年1月27日午前7時45分ころ、
本件歩道のうち自転車通行指導帯を千本通り方面から
坊城通り方面に向け加害自転車を運転して走行していたところ、
進路前方に20名くらいの人の集団を発見し、これを避けるため、
左にハンドルを切り、自転車通行指導帯から歩行者用の通行帯に
進路を変更した。

被告が歩行者用の通行帯に入ったころ、原告/*中略*/
被告の斜め前方約19メートルの自転車通行指導帯内にいたため、
被告は原告から目をそらし、そのまま進行した。しかし、
原告は自転車通行指導帯から歩行者用通行帯に戻り、
一方、被告は原告の上記のような動きに気付くのが遅れ、
急ブレーキをかけたが間に合わず、加害自転車の前輪を
被告の足付近に衝突させた。

衝突により被告は左側にあった金網のフェンスに
もたれかかった状態になったが転倒はせず、一方、
原告はバランスを崩し仰向けに倒れて頭を路面に打ち、
通行人が呼んだ救急車で京都南病院に収容された。

という事故です。
判決では被告について、

p.186
被告は、自転車を運転走行するに当たっては、進路前方を注視し
歩行者との衝突などの事故の発生を未然に防止すべき注意義務が
あるのにこれを怠り、漫然自転車/*原文ママ*/を運転走行した過失により
本件事故を惹起したから、民法709条に基づき、本件事故により
原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

とした一方で、

p.186
本件事故が自転車が通行することが可能な歩道上において
発生したものであること、自転車通行指導帯があるとはいえ
道路状況によれば自転車が自転車通行帯をはみ出して
通行することも十分あること、一般的に言って、歩行者としても
車両との衝突を回避すべく周囲の安全を確認しながら
歩行すべきであることからすると、本件においては
原告について過失相殺するのが相当である。

として、原告に10%の過失相殺を言い渡しています。



1. 当事者の属性の組み合わせを軽視

判決文が描く事故状況からは、
事故原因は被告の漫然運転が大部分であるように思えます。
ただ、当事者の属性を知った上でも同じ印象を受けるでしょうか。

p.185
当事者の属性
歩行者(原告)・男、事故当時66歳
自転車(被告)・女、14歳

中高年男性と女子中学生です。
この属性で原文の「原告」と「被告」を置き換えると……

女子中学生が歩行者用の通行帯に入ったころ、
中高年男性女子中学生の斜め前方
約19メートルの自転車通行指導帯内にいたため、
女子中学生中高年男性から目をそらし、そのまま進行した。

「目をそらし」た事の印象がまるで違ってきます。

私は前回の合羽橋事故の記事で、
母親なら、少し離れた先を歩いている幼い我が子に気を取られ、
自分の周りへの注意が疎かになるのは仕方が無い
という趣旨の事を書いています。

同じ論理を本件にも適用するなら、女子中学生が
(恐らくは見ず知らずの)男性から目を逸らすのも
無理からぬ事だと、言って言えない事はないでしょう。

これが一般に広く共感されるなら、
過失の認定に影響を与えたかもしれません。

しかし、交通事故裁判の場ではそういう人間の心の機微は無視して、
ひたすらに無機的で模範的な交通参加者を想定しているようですから、
仮に被告が
オヤジが視界に入るのが我慢できなかった
と訴えたとしても退けられたでしょう。


これだけだとバランスが悪いので原告側も擁護するなら、
66歳の人に対して、
歩道上でも周囲の安全を確認しながら歩け
というのは酷な要求と言えるでしょう。

老化によって注意力の水準が下がったり、
注意配分の仕方が拙くなったりするのは避けがたい事です(*)。

*1 ドライバーを対象にした実験では、高齢ドライバーほど
視線の移動回数が少なくなる事が分かっています。
『安全運転の科学』 牧下 寛 2006 九州大学出版会 p.90

また、事故時点までに歩いてきた距離・時間・交通状況(*2)によっては、
注意力の水準を維持するのが困難だった可能性も有ります。

*2 例えば、人の動きが複雑かつ速い雑踏の中を歩くと、
5分も経たない内にぐったりしてしまうなど。

元々歩道は歩行者を保護する目的で設けられている空間ですから、
歩行者の多少の不注意は許容して議論すべきでしょう。


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過失割合の議論から一旦離れて、
本件事案から学ぶべき事を挙げるなら、

多様な交通参加者の中には相性の悪い組み合わせが有る

という事でしょう。本件で言えば、

  • 中高年男性を直視したくなかった(かもしれない)女子中学生と、
  • 注意力の水準が下がっていた(かもしれない)中高年男性

という、互いに相手のエラーを補償できない組み合わせです。


こういう問題まで交通安全教育で何とかできると考えるのは
楽観的すぎで、やはり道路の物理的な構造を改善する必要が
有るのではないかと私は思います。




2. 道路管理者の責任を追及していない

本件の事故状況からも読み取れますが、
色分け舗装によって歩道上に「自転車通行指導帯」を設置しても
歩行者と自転車を確実に分離する効果は有りません


参考 山手通りの自転車通行帯(東京都)
植栽による物理的な分離も意味無し。

参考 山手通りの自転車通行帯(東京都)
右端の自転車通行帯が狭過ぎる(本件事故現場とほぼ同じ)ため、
歩行者空間に大きくはみ出す自転車。

従って、この事故における過失の疑いは、
まず道路管理者に差し向けるべきです。
(事故現場の五条通は国道9号線なので、恐らく国交省)

「ヒトは間違える生き物である」事を前提に考えれば、
本件事故現場のように歩行者と自転車が混在して通行する空間では
ある程度の確率で事故が起こるのは当然です。

実際、現在でも五条通では自転車事故が無くなっていないようです。



私には、ヒューマンエラーが直ぐに事故に繋がってしまう
脆弱な構造の道路を作った道路管理者を
本件で最大の過失者として責めるのが相当であるように思えます。

(事故現場の車道は片側4車線も有りますが、
両端の1車線ずつを潰して、高規格な自転車道を
作ろうといった意見は見られません。

もし交通量が多くてできないというのであれば、
渋滞解消の手段を車道の拡幅ばかりに頼り、
車での移動需要を抑制してこなかった自治体にも
責任が有ると言えるでしょう。)

本件判決のように事故の当事者だけに賠償させる姿勢は、
社会全体の歪みを放置して、その皺寄せを
個人に負わせるものと言えます。

無責任な道路管理者に是正圧力を掛けるためにも、
本件のような機会を利用して責任追及をしていくのが
社会のあるべき姿だと思いますが如何でしょうか。



3. 付記

平成10年に起こった本件事案には関係有りませんが、
平成19年改正、翌20年施行の道路交通法では、

歩道を通行する歩行者は、/*中略*/普通自転車通行指定部分を
できるだけ避けて通行するように努めなければならない。
(第10条第3項)

という規定が追加されています。

事故発生が平成20年以降であれば、
原告の歩行者は、事故前の行動に違反が有るので、
過失割合が増えていた可能性が有ります。

しかし、何度も指摘しているとおり、問題の根本は
歩行者と自転車を混在させるという欠陥構造に有ります。

また、歩道上に自転車通行帯が設置された区間の内、

パッと見で自転車通行帯が有る事が分からず、
歩行者が思い思いの場所を歩いている。
その歩行者を避けて自転車もデタラメな場所を走っている。

事例がかなり存在します。景観を重視しすぎたんですかね。
素直に縁石で高低差を付けて区切れば良いものを。

(歩行者にとって、この高低差が空間境界の
認知のキューになっていると考えられるので。)

道交法10条3項は、この問題を取り繕って
覆い隠すための言い訳条項に過ぎませんから、
過失割合の判断に用いるのは不適切です。