2013年2月8日金曜日

運転免許の位置付け

現代の自動車の運転免許というものを
突き詰めてシンプルに表現すると
こうなるのではないでしょうか。

「私は車を動かし、曲げ、止める事ができます。
なので、車を運転する事を許可してください。」



現行の試験内容や路上でのドライバーの振る舞いから察するに、
大体そんな所ではないかと思うのですが、

自転車という弱者の立場で車道の交通に
参加している身から言わせてもらえば、
運転免許は本来こうあって欲しい↓

「私はいつ如何なる時でも、
車で人を傷付けたり脅やかしたりしません。
なので、車を運転する事を許可してください。」

これ、当たり前のようでいて、ちゃんと守れている人は
かなり少ないように思います。

  • 出掛けるのが遅れてしまった時
  • 渋滞に嵌まった時
  • 約束の時間が迫っている時
  • 家や会社で嫌な事が有った時
  • マナーの悪い車が急に割り込んできた時
  • 目の前でノロノロ運転された時
  • 長時間運転して疲れている時

文字通り、いつ如何なる時でも動じずに平静さと機敏さを保って、
他者の安全を慮った運転ができる人がどれだけいるでしょうか。

自分より小さい車やバイクに対して弱い者虐めをしたり、
警察でもないのに懲罰的な報復行為をするドライバー。
結構いませんか?

人の個性は十人十色、みんなちがって、みんないい
とは言いますが、車の運転でも果たしてそう言えるでしょうか。

弱者を守るという観点からすると、取得者率が90%を超える
現行の運転免許制度はどうしても笊に見えてしまいます。



攻撃的で危険な運転を強制的に抑え込む装置が
全ての車に組み込まれているなら
別に誰が運転しても良いんですが、

現状では道路交通の安全は専ら、
揺れ動きやすいヒトの精神に懸かっています。

脆弱なシステムですよね。
喩えるならATSの無いJR福知山線です。

なぜ予防的安全装置が実用化されもしない内から
国民皆免許状態になってしまったのか、不思議でなりません。
鉄道事故や航空事故にはあれほどうるさい国なのに。