2009年11月13日金曜日

龍笛塗装 (4)

内部の小豆色も差して、塗装完了。


ガイアノーツのクリヤーブラックは粘度が高くて筆ムラに
悩まされましたが、retarder を大量に混ぜて何とか許容範囲に。
エアーブラシが有れば良かったのですが。

並べてみると、

ああ、自分のがオモチャに見える…。
音楽も広義の「遊び」だから「オモチャ」でも良いんですが。

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遊びと言えば、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』、
本当に、なんで音楽に言及しないのか不思議です。

序章辺りでは演奏 (jouer de la musique) を遊びの例に
挙げておきながら、競争・運命・真似・スリルの四分類を示す
段になると完全無視。都合の悪い例は切ったんでしょうか。

確かに音楽はカイヨワの四分類のどれにも当て嵌まらなそう:
  • 競争は速弾きとか超絶技巧、コンクールにオーディションがそうですが、ただ仲良く合奏してても音楽。
  • 運命はジョン・ケージの 4'33" を出すまでも無く、モーツァルトの「音楽のさいころ遊び」という古典作品が有りますが、やっぱり本質とは言えない。
  • 真似は例えばメシアンの鳥シリーズ。いや、鳥に限らず、saxophone の「泣き」の入れ方が人の声の真似だと言えるかもしれません。でも一方には自然の対極を追求した様なシンセ音楽も有るし。あ、歌手になりきるカラオケという文化が有ったか。コピーバンドも同じ快感が有りますね。じゃあ即興でひたむきに何かを追求している様なジャズやインド音楽の player は何かを真似してるんでしょうか。
  • スリル、ホラー映画のBGMとか突然の爆音を仕組んだ曲とか。誰だったか、「くるみ割り人形とねずみの王様の戦い」に本物の大砲の音入れた指揮者がいました。聴いててゾクゾクするけど、そんな大規模な戦闘だったか。心意気は好きでしたが。
にも関らず、英語 (play) 、フランス語 (jouer) 、
さらには日本語でも「御遊」と言うように、
音楽を遊びに数える文化圏が有る。

遊びを文化変容の原動力として論じるなら
音楽も書き漏らせない一大テーマだと思うんですが、
まあ良いや。

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以上、龍笛塗装の次第。